民主主義国家の定義って何?
選挙を通して考えたこと
11月になって、世界そして日本の歴史を変えるような重大な選挙が2つありました。
大阪都構想の可否をめぐる住民投票とアメリカの大統領選挙です。この一連の選挙を通じて、日本という国家のあり方、民主主義の意義について考え、自分なりに感じたことを文字にしてみました。
改革志向の落とし穴
大阪都構想をめぐる住民投票について、実は投票速報を見ていてハラハラしていました。
大阪都構想では大阪市を廃止してより良い未来を作るという改革派と、大阪市を残し住民の生活を守るという争いが行われました。結論から言うならば、大阪市が残ってくれて良かったと思います。
なぜ、維新がここまでグローバリズム、規制改革にこだわったのかという背景に、日本の停滞感から「改革」という言葉に反応してしま住民の意識に響いたことがあるのではないでしょうか?壮大な理念を掲げた言葉に反応し「改革=正論」と単純に思ってしまう群衆心理をうまく取り込んで勢力を拡大したといえるでしょう。
私達は、回転ドアに足を踏み入れてしまいそうになる自分を自制しなければいけないのです。回転ドアの入り口は、改革という言葉に乗っかって明るい未来を夢見た一般市民、その一方の出口は、私腹を肥やそうと企む一部の権力者により、従来の住民生活の良い部分が犠牲になり失われていくという構図があることを認識しなければならないのです。
実は、政令指定都市の大阪市が廃止されることに大きなデメリットはあったのですが、それを住民に明確に説明できなかったことに維新の敗因の要因があると考えます。
大統領選挙の混乱
アメリカ大統領選は、バイデン氏が選挙人の数で過半数を超えました。トランプ政権は国民のためを思っている優れた政治家だと私は思っています。でも多くの日本のメディアは、反トランプ一色でした。
人は、政策の中身・今後の自分達の生活に与える影響を熟慮しないままに、投票してしまうことがある現実も受け止めなければならないのでしょうか。
実は、雇用の安定をはじめ、歴代最高とも言われる優れた戦略・政策をとってきたトランプ政権が、大統領の一見粗野に見える振る舞いをマスコミが取り上げてマイナスに偏向報道することで、反トランプ派に誘導されてしまう現実を見た気がします。
郵便投票を巡っては、ネット上では大規模な不正投票が行われているとの書き込みがされています。法治国家であるアメリカ、そして民主主義が正しく機能するために、これは放置してはいけない重大な問題です。仮に日本が郵便投票を行い、不正選挙の疑いがあるのであれば、徹底的に選挙の責任者を追求し、国会でも議論の的となるはずです。日本のマスコミが、公正な投票を求めて裁判を起こしているトランプ大統領の批判をするのは、全く認識が違っていると言わざるを得ません。
今必要なこと:間違ったグローバリズムからの脱却
一般国民の生活を豊かにする選択の鍵を握っているのは国民です。日本人が知らないうちに、政治家の唱える、競争社会、自由経済、ボーダレス経済を良いものだと信じて、利益追求主義による海外工場移転、改革、グローバリム、インバウンド、構造改革、外資参入を良しとして、多くの国民がその政策を信じてきました。そして、「改革=よいこと」と考え、歴史的、永続的、保守的なものを否定してきました。
その結果、本来の伝統的な日本人の考え方、日本の良さを生かした産業振興、医療・教育投資、公共事業、公務員、正社員は削減を余儀なくされ、利益追求を狙う一部の権力者により、民間非正規労働の拡大、貧困層の拡大を生んでしまったのです。
日本人の求めるもの
この1週間、ずっと日本・日本人の良さについて考えていました。やはり日本人が求めているのは共同体意識です。 日本人として伝統、文化を守り、日本人独自の器用さ、優しさ、勤勉さ、思いやりの心、そして世界から愛される日本。その精神を基盤として、国内経済発展につながる投資によって、日本人の良さが発揮されるのです。そんな社会を国家が守ってくれる安心感、それが日本が理想とする社会のあるべき姿ではないでしょうか。
でもちょっとしたボタンの掛け違いで、今悪い方向に向かおうとしています。それは、緊縮財政といった誤った政策によって、日本があるべき姿に近づけないでいることなのです。これは、国家財政の危機を煽ってきた日本のメディア、著名人にも大きな責任があるのです。
まとめ:個人としてできること
混迷を深める世界の動きに対して、日本、そして私達個人はどう考えてたらいいのでしょうか? それは、間違った政策に対しては声を上げることこそが、国民主権国家として、国民一人一人がやるべきことだと考えています。ただ、声を上げたとしても、現状は急には変わるものではありませんが、世論を形成する上では一定の役割を果たします。
もし日本人が声を上げなければ、一部の政治家・権力者・経営者の思惑によって、知らない内に私達の生活が支配されてしまう時代が来るでしょう。今こそ「国民主権」について考え直すことが、私たちのやるべきことではないでしょうか。
その上で、現状を受け入れて、自ら考え、学び個人としての選択をしていく、つまり個人としての自立こそが、いつまでも自立できない日本という「国家の自立」につながるものと思っています。