なぜ「真珠湾を忘れるな」は今も使われ続けるのか?

~1年前から解読されていた暗号と「騙し討ち」が作られた背景~
はじめに:85年経っても消えない「騙し討ち」のイメージ
1941年12月8日(米国時間7日)、日本軍はイギリス領マレー半島への上陸作戦と、アメリカ太平洋艦隊の拠点である真珠湾への攻撃を実施しました。この戦争は、当時の日本政府によって「大東亜戦争」と呼ばれました。
あれから85年近くが経った今も、アメリカでは「Remember Pearl Harbor(真珠湾を忘れるな)」という言葉が、国がピンチに陥ったときに国民をひとつにまとめるスローガンとして使われています。そして日本には、「事前に何も言わずに襲いかかった卑怯な騙し討ちの国」という強いイメージが残されたままです。
しかし、アメリカの国立公文書館(ワシントンDC)に残されている当時の極秘文書や一次資料(当時の生の記録)を調べていくと、私たちが学校で習ってきた「一般的な歴史のイメージ」とはまったく違う、複雑な裏側が見えてきます。
- なぜ日本は、勝てる見込みのない戦争へ突き進んでしまったのか?
- なぜ真珠湾攻撃だけが、いつまでも「騙し討ちの例」として世界中で使われ続けるのか?
今回は、アメリカのフーバー研究所に在籍していた歴史学者・西鋭夫氏の講演内容をもとに、当時の世界の情勢と「情報戦(インテリジェンス)」の視点から、わかりやすく内容をまとめました。

戦争前の世界情勢:参戦したくないアメリカと、助けを求める各国
真珠湾攻撃の直前、アメリカ国内の世論は現在のイメージとは異なり、圧倒的な「戦争反対(他国の戦争に関わりたくない)」の空気で満ちていました。
第一次世界大戦での大きな犠牲や、1929年の世界大恐慌を経験したアメリカ国民の8~9割は、「海外の戦争に二度と関わりたくない」と強く願っていたのです。
民間でも「アメリカ・ファースト委員会」という巨大な戦争反対組織が作られ、自動車王ヘンリー・フォード、アニメの生みの親ウォルト・ディズニー、飛行士のリンドバーグなどが参加。会員数は最も多い時期で80万人を超えていました。ルーズベルト大統領自身も、選挙で「アメリカの若者を海外の戦争に送ることは絶対にしない」と約束して当選していたほどです。
しかしその頃、ヨーロッパではナチス・ドイツが勢力を伸ばし、フランスを倒してイギリスを追い詰めていました。
一方のアジアでは、長引く日中戦争の中で、中国の指導者(蒋介石)の妻である宋美齢(そうびれい)がアメリカで熱心なロビー活動(働きかけ)を行っていました。彼女はアメリカの名門大学を卒業した高い語学力と人脈をフル活用し、大規模な「日本批判」と「中国への支援」を訴えたのです。この働きかけによって、アメリカ人の義勇パイロット部隊「フライング・タイガース」が結成され、日米が開戦する前から実質的な攻撃が始まっていました。
日米戦を動かした2つの「裏の仕掛け」:ルーズベルトの狙いとソ連のスパイ
「二度と戦争には関わらない」という公約に縛られていたルーズベルト大統領が参戦するためには、世論を納得させる大きなきっかけが必要でした。その裏では、2つの大きな仕掛けが動いていたのです。
ルーズベルトの「日本に先に攻撃させる」作戦
イギリスを助けるために参戦したかったルーズベルトは、ドイツ・イタリアと同盟を結んでいた日本に激しい経済的な圧力をかけて追い詰めました。「日本から先に攻撃させて被害者の立場になる」ことで、一気に国内の反戦世論を変えようと企んだのです。 元アメリカ大統領のハーバート・フーバーも、著書『裏切られた自由』の中で、「日本を追い詰めて真珠湾攻撃を行わせたのはルーズベルトだ」と強く批判しています。
ソ連(コミンテルン)によるスパイ工作
アメリカのFBIがソ連の暗号通信を解読した記録(ヴェノナ文書)が公開され、ルーズベルト政権の中に多くのソ連スパイが潜り込んでいたことが明らかになりました。 日本への最終通告となった「ハル・ノート」の原案を書いた財務省高官ハリー・デクスター・ホワイトも、実はソ連のスパイでした。彼は「日本の精鋭部隊(関東軍)がソ連のシベリアへ攻め込んでくるのを防ぐため、日米を衝突させて日本の目を太平洋(アメリカ)へ向けさせる」という工作を行っていたのです。

日本が戦争を決意した理由:「石油のストップ」と最後の突きつけ
資源を持たない日本は、石油や鉄のほとんどをアメリカからの輸入に頼っていました。しかしルーズベルト政権は、日本への石油・鉄の輸出を完全にストップし、アメリカにある日本の資産も凍結しました(いわゆるABCD包囲網)。
日本の軍部(大本営)は、「このままでは石油が底をついて自滅する。蓄えがあるうちに戦うしかない」という極限状態に追い詰められます。
話し合いでの解決を探っていた日本に対し、1941年11月26日、アメリカのハル国務長官から突きつけられたのが「ハル・ノート」でした。そこには、以下のような極めて厳しい要求が書かれていました。
- 中国および仏領インドシナからの完全な撤退
- 蒋介石の国民政府以外を支持しないこと
- 日独伊三国同盟を実質的に破棄すること
日本側はこれを「事実上の最後通告(降伏要求、または宣戦布告)」と受け止め、最終的に開戦(真珠湾攻撃)を決意したのです。
暗号解読と電報の遅れ:1年前から破られていた日本の暗号
真珠湾攻撃をめぐる最も重要なポイントが、「暗号の解読」と「宣戦布告電報の遅れ」です。
日本側は最高レベルの外交暗号(通称パープル暗号)を使っていましたが、アメリカ側は開戦の1年3ヶ月前(1940年9月)にはすでにこれを完全に解読していました。
アメリカはこの解読情報を「マジック」と呼び、ルーズベルト大統領やごく一部の幹部だけで共有していました。ドイツから「日本の暗号は漏れているぞ」と警告されていたにもかかわらず、日本側は「解読できるはずがない」と思い込み、調べもせずに使い続けていたのです。
また、「攻撃の30分前に渡すはずだった宣戦布告の電報(第14部電報)」が攻撃後に遅れて届いてしまった理由については、以下の理由が重なったためと考えられています。
- ワシントンの日本大使館での不慣れな作業による遅れ
- 奇襲の効果をできるだけ高めたい日本の作戦課が、電報を送るタイミングを遅らせたり何度も修正指示を出したりして、結果的に「間に合わない状況」を作ってしまったこと
なぜ真珠湾だけが「騙し討ち」と言われ続けるのか?
歴史上、事前の宣戦布告がないまま戦争が始まるケースは、日清・日露戦争やベトナム戦争など決して珍しくありません。
では、なぜ真珠湾攻撃だけが「史上最悪の騙し討ち」として強調され、今も利用されているのでしょうか? そこにはアメリカ政府の政治的・心理的な3つの理由があります。
アメリカ政府が「暗号解読」していた事実を隠すため
アメリカ政府は1940年秋から日本の暗号をすべて読んでいました。「本当は攻撃を知っていたのに、ハワイの現場や国民に知らせず見殺しにした」という疑惑がバレれば、ルーズベルト政権は崩壊してしまいます。そのため、「何も知らずに眠っていたところを突然不意打ちされた」という被害者の物語を作る必要がありました。
「戦争絶対反対」だった国民世論を一瞬で変えるため
国民の8~9割を占めていた強力な戦争反対の意見を打ち消し、アメリカ全土をひとつにするために最も効果的だったスローガンこそが、「Remember Pearl Harbor(卑怯な騙し討ちをした日本に報復せよ)」でした。
原爆投下や戦後の日本支配(罪悪感の植え付け)を正当化するため
トルーマン大統領が広島・長崎への原爆投下について「真珠湾の何倍もの報復を受けたのだ」と語ったように、「騙し討ちをされた」という強い口実があれば、民間人を巻き込む大量殺戮も正当化しやすくなります。さらに戦後も、日本に罪悪感を抱かせて外交的に優位に立つための「決定的なカード」として使われ続けています。

私たちがこの歴史から学ぶべき「3つの教訓」
真珠湾攻撃の真相を学ぶ本当の目的は、過去の日本をただ美化したり、他国を責め立てたりすることではありません。私たちがこれからの時代を生き抜くための教訓を得ることにあるのです。
残された一次資料から、私たちが直視すべきことは以下3点です。
- 通説を鵜呑みにせず「生の記録(一次資料)」を確かめる姿勢を持つ
勝者の宣伝や後付けの言い訳に惑わされないために、当時の公文書などに残された「書き換えられない記録」を自分の目で確かめ、客観的に歴史を見つめる姿勢が必要です。 - 「情報戦(インテリジェンス)」の怖さと重要性を知る
戦前の日本は精神力や技術を信じすぎるあまり、暗号の管理や相手の情報分析を軽視してしまいました。暗号が破られていることにすら気づかず、相手の手のひら上で踊らされた失敗は反省すべき点です。ネット社会である現代も、情報戦で負ける国は安全も経済も守れません。 - 失敗の原因から目を背けず、自分で考える力をつける
国力の差、補給や情報の軽視、リーダーたちの責任のあやふやさによって、国民を大きな被害に巻き込んでしまった歴史から目を背けてはいけないのです。失敗の理由を徹底的に突き詰めることこそが先人の犠牲を無駄にしない道であり、正しい知識を持って世界と向き合う力になると考えます。

